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宮門跡

提供: 新纂浄土宗大辞典

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みやもんぜき/宮門跡

出家後に親王宣下された法親王ほっしんのうおよび、親王宣下の後に出家した入道親王が入室する寺院、またその寺院住職のこと。江戸幕府は門跡を、宮門跡・摂家門跡公方くぼう門跡清華せいが門跡・准門跡にランク分けしたが、その筆頭で親王門跡ともいう。寺領を有し、坊官などの寺院組織を備えていた。法親王入寺は古く、すでに院政期には多くの例が見える。仁和寺に入った後白河院の皇子たる守覚法親王は著名だが『本朝皇胤紹運録』によれば、このほかに後白河院の時代には、園城寺の円恵法親王・定恵法親王静恵法親王延暦寺の承仁法親王仁和寺の道法法親王が確認される。宮門跡としては、輪王寺・妙法院・曼殊院・知恩院・聖護院・仁和寺大覚寺一乗院などがある。知恩院宮門跡は、後陽成天皇の第八皇子で徳川家康の猶子となった良純法親王に始まる。なお明治四年(一八七一)に門跡の制度は廃止される。


【参考】『諸門跡譜』(『群書類従』五輯)、永村真「〈門跡〉と門跡」(『中世の仏教と社会』吉川弘文館、二〇〇〇)、杣田善雄「近世の門跡」(『岩波講座日本通史第一一巻 近世一』岩波書店、一九九三)


【参照項目】➡門跡法親王


【執筆者:舩田淳一】