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提供: 新纂浄土宗大辞典

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永仁四年(一二九六)—応安三年(一三七〇)一一月一二日。定恵とも書く。仏[[蓮社]]良誉。[[浄土宗]]五祖。相模国小田原の人。[[良暁]]のもとで[[出家]]し、のちに南都に遊学し、とくに戒学を学んで、ふたたび鎌倉に帰り、[[良暁]]のもとで[[白旗派]]の教学を学んだ。正和三年(一三一四)八月五日に[[定慧]]は[[良暁]]から附法状をもらい、[[良忠]][[相伝]]の『[[伝通記]]』を譲与されている。元応二年(一三二〇)七月六日には[[璽書]]を許され、[[白旗派]]の後継者となった。[[定慧]]は[[良忠門下の六派]]が各地で自派の正統性を主張した時代に生きたため、あらゆる面で[[白旗派]]の先頭に立って活躍し、[[蓮華寺]]([[後世]]の鎌倉[[光明寺]])の[[三世]]として多忙な生活を送った。とくに[[名越派]]・[[藤田派]]に対応するために深い学問と豊富な経験とを必要とした。そこで南都遊学の成果を活用して、諸所に[[布教]]して[[白旗派]]の正統性を主張するとともに、庶民[[教化]]にもつとめた。康安元年(一三六一)八月晦日[[良順]]に[[璽書]]伝授後は、足柄郡桑原郷(神奈川県小田原市)に[[浄蓮寺]]を創建して隠栖した。その徳を慕って参集する学僧が多く、桑原[[道場]]とも呼ばれた。『[[浄土述聞追加口決鈔]]』下の[[奥書]]をみると、[[聖冏]]もここで学んでいる。
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永仁四年(一二九六)—応安三年(一三七〇)一一月一二日。定恵とも書く。仏[[蓮社]]良誉。[[浄土宗]][[戒脈]]の五祖。相模国小田原の人。[[良暁]]のもとで[[出家]]し、のちに南都に遊学し、とくに戒学を学んで、ふたたび鎌倉に帰り、[[良暁]]のもとで[[白旗派]]の教学を学んだ。正和三年(一三一四)八月五日に[[定慧]]は[[良暁]]から附法状をもらい、[[良忠]][[相伝]]の『[[伝通記]]』を譲与されている。元応二年(一三二〇)七月六日には[[璽書]]を許され、[[白旗派]]の後継者となった。[[定慧]]は[[良忠門下の六派]]が各地で自派の正統性を主張した時代に生きたため、あらゆる面で[[白旗派]]の先頭に立って活躍し、[[蓮華寺]]([[後世]]の鎌倉[[光明寺]])の[[三世]]として多忙な生活を送った。とくに[[名越派]]・[[藤田派]]に対応するために深い学問と豊富な経験とを必要とした。そこで南都遊学の成果を活用して、諸所に[[布教]]して[[白旗派]]の正統性を主張するとともに、庶民[[教化]]にもつとめた。康安元年(一三六一)八月晦日[[良順]]に[[璽書]]伝授後は、足柄郡桑原郷(神奈川県小田原市)に[[浄蓮寺]]を創建して隠栖した。その徳を慕って参集する学僧が多く、桑原[[道場]]とも呼ばれた。『[[浄土述聞追加口決鈔]]』下の[[奥書]]をみると、[[聖冏]]もここで学んでいる。
 
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【参考】宇高良哲編『関東浄土宗檀林古文書選』「鎌倉光明寺文書」(東洋文化出版、一九八二)、玉山成元「中世における浄土宗の展開」(正大紀要五〇、一九六五)
 
【参考】宇高良哲編『関東浄土宗檀林古文書選』「鎌倉光明寺文書」(東洋文化出版、一九八二)、玉山成元「中世における浄土宗の展開」(正大紀要五〇、一九六五)
 
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【執筆者:宇高良哲】
 
【執筆者:宇高良哲】

2021年11月24日 (水) 07:01時点における最新版

じょうえ/定慧

永仁四年(一二九六)—応安三年(一三七〇)一一月一二日。定恵とも書く。仏蓮社良誉。浄土宗戒脈の五祖。相模国小田原の人。良暁のもとで出家し、のちに南都に遊学し、とくに戒学を学んで、ふたたび鎌倉に帰り、良暁のもとで白旗派の教学を学んだ。正和三年(一三一四)八月五日に定慧良暁から附法状をもらい、良忠相伝の『伝通記』を譲与されている。元応二年(一三二〇)七月六日には璽書を許され、白旗派の後継者となった。定慧良忠門下の六派が各地で自派の正統性を主張した時代に生きたため、あらゆる面で白旗派の先頭に立って活躍し、蓮華寺後世の鎌倉光明寺)の三世として多忙な生活を送った。とくに名越派藤田派に対応するために深い学問と豊富な経験とを必要とした。そこで南都遊学の成果を活用して、諸所に布教して白旗派の正統性を主張するとともに、庶民教化にもつとめた。康安元年(一三六一)八月晦日良順璽書伝授後は、足柄郡桑原郷(神奈川県小田原市)に浄蓮寺を創建して隠栖した。その徳を慕って参集する学僧が多く、桑原道場とも呼ばれた。『浄土述聞追加口決鈔』下の奥書をみると、聖冏もここで学んでいる。


【参考】宇高良哲編『関東浄土宗檀林古文書選』「鎌倉光明寺文書」(東洋文化出版、一九八二)、玉山成元「中世における浄土宗の展開」(正大紀要五〇、一九六五)


【執筆者:宇高良哲】