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「大蔵経」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版

だいぞうきょう/大蔵経

仏教聖典の総称。衆経、一切経、あるいは蔵経ともいう。漢字に翻訳された仏典は、古くは衆経ともいわれ、六朝末の北地では一切経、江南では大蔵経と呼ばれた。中国に仏教が伝来して仏典が漢訳されるようになると、それらを分類し、整理する必要が生じ、経典目録が編纂された。道安の『綜理衆経目録』は最古の目録であり、その後、僧祐の『出三蔵記集』をはじめ多数の目録が編纂された。こうした目録に基づいて、前近代までに刊行された大蔵経は、智昇の『開元釈教録』が伝える五〇四八巻を基準として編纂されている。その分類を黄檗おうばく大蔵経にみると、経・律・論と此土撰述に大別され、大乗のものが先に、次に小乗のものがある。大乗経典では般若部・宝積ほうしゃく部・大集部・華厳部・涅槃部・五大部外重訳・単訳、小乗経典では阿含部・単訳経・宋元入蔵小乗経・宋元入蔵小乗経之余の順で構成されている。律、論も同様で、三蔵の次に西土聖賢撰集・此土著述、さらに大明続入蔵論集、北蔵欠南蔵函号附と続き、『大明三蔵聖教目録』で二七五帙が完結する。写本については『貞元新定釈経目録』に基づいて整理されているものが多い。近代になり、サンスクリット語パーリ語・チベット語・西夏語・蒙古語などさまざまな言語の仏典が日本に紹介され、それらの一部は西蔵大蔵経や南伝大蔵経として出版された。浄土宗では、法然黒谷報恩蔵一切経(写本)を五遍拝読したことが伝記にあるが、刊本大蔵経を閲読し、活用したのは江戸時代の忍澂にはじまる。刊行後間もない黄檗版と高麗版とを対校し、さらにその対校録の刊行を試みている。増上寺では徳川家康寄進の宋思渓版、元杭州版、高麗版の三大蔵があり、延享年間(一七四四—一七四八)に知蔵職随天により『縁山三大蔵目録』が作成され、宋版を基準に明万暦蔵をも対照している。また忍澂刊行の『決疑鈔』や了従刊行の『釈浄土二蔵頌義』などは、引用経典を刊本の大蔵経により校訂・校讎こうしゅうしている。また近代になり増上寺三大蔵や忍澂の対校本を基本として、『大日本校訂大蔵経』『日本校訂大蔵経』『大正新脩大蔵経』などの漢訳大蔵経が金属活字印刷で出版された。


【参照項目】➡一切経大正新脩大蔵経


【執筆者:松永知海】