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大樹寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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だいじゅじ/大樹寺

愛知県岡崎市鴨田町字広元。成道山松安院。愛知教区№一二五。三河松平氏代々の菩提寺。三河浄土宗の中心寺院。文明七年(一四七五)松平親忠は、戦亡者の幽魂を鎮めるために一庵を建立し、愚底を招いて開山とした。松平氏が勢力を増すにしたがって寺も拡大され、愚底など知恩院入寺する僧侶が出た。天文四年(一五三五)後奈良天皇の勅額寺となり、松平清康は多宝塔を建立した。徳川家康の時代になると基盤も確立し、寺僧が増加したことをうけて大樹寺法式が作られ、統制がはかられた。慶長七年(一六〇二)六一六石余の朱印地をもらい、同一一年には後陽成天皇から勅願所と紫衣綸旨りんじを賜った。寛永一八年(一六四一)徳川家光は三年の年月を費して堂宇を再建。寺宝類も多く、多宝塔如意観世音菩薩画像、大方丈壁画は国重要文化財に指定されている。また松平氏歴代の豊富な古文書類は貴重なものである。


【資料】『大樹寺文書』、『大樹寺由緒旧記』


【執筆者:宇高良哲】