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夜摩天

提供: 新纂浄土宗大辞典

やまてん/夜摩天

六欲天の第三で、須弥山の上空に位置する。空中に居住する天(空居くうご天)の最下層である。Ⓢyāma、あるいはⓈsuyāma。焰天とも言い、善時分、善時、時分等とも訳す。『立世阿毘曇論』六によれば、閻浮提えんぶだいから十六万由旬上方に位置し、その天の身長は一由旬正蔵三二・一九九上〜二〇〇上)、同七によれば、一日一夜は人中の二〇〇年に相当し、その一日一夜の長さに基づく二千年を寿量とする(正蔵三二・二〇六中)。夜摩天の名の由来について、『立世阿毘曇論』六には、「日夜時節分分度時に是の如きの言を説く、咄なる哉、不可思議の歓楽や、と。故に夜摩と名づく」(正蔵三二・一九八上)、『仏地経論』五には、「随時に楽を受く。故に時分と名づく」(正蔵二六・三一六下)とある。これはⓈyāmaには、一日の時間を分割したうちの一分の意味があることによる。『無量寿経』上では、極楽世界須弥山が無くても地居じご天である四天王忉利とうり天が存在しうることを説明するに際して、第三焰天が空中に居するのは行業果報不可思議であるからであり、それと同様だとする。また、『観経』第七華座観では、阿弥陀仏が座する華座の上の宝幢ほうどう須弥山に喩え、その上にある宝幔ほうまん夜摩天宮に喩える。これは須弥山の上空に夜摩天が位置することによる。また同第九真身観では、仏身の色合いを「夜摩天閻浮檀金えんぶだんごんじき」とする。義山は『観無量寿経随聞講録』中之二において、閻浮檀金閻浮提で産するもので夜摩天には産しないが、その色が勝れていることを示すための表現であるという(浄全一四・六一二下)。ヴェーダ以来、死者が往くべき光明と歓楽に満ちた世界とされたが、仏教では欲界天の一つに位置づけられた。


【参照項目】➡六欲天


【執筆者:齊藤舜健】