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印西

提供: 新纂浄土宗大辞典

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いんさい/印西

一二世紀頃、生没年不明。阿証(性)房。『明月記』には印誓とあり、「いんせい」といった可能性もある。叡空より円頓戒を授かっており法然との同道もみえる。慈悲第一の阿証房とされる。東山長楽寺の住僧で、治承五年(一一八一)うるう二月五日高辻京極邸たかつじきょうごくていにおいて、藤原定家の異母姉である後白河院京極の出家戒師をつとめた。また元暦二年(一一八五)五月一日建礼門院徳子が落飾らくしょくする戒師もしている。そのとき安徳天皇の形見である直衣のうし布施として拝領し、それを幡に縫い直し長楽寺の仏前に掛けていた。翌年秋の大原問答にその名を連ね、建久六年(一一九五)後鳥羽天皇の中宮任子が昇子内親王を懐妊したとき、法然湛斅たんごうとともに安産祈願のためそれぞれ五〇日ずつ授戒を行った。印西は七月一三日よりつとめている。さらに、翌七年正月一五日から東山霊山寺りょうぜんじの三七日の不断念仏時衆一二人の一人として法然にしたがっている。


【資料】『明月記』(国書刊行会)、『三長記』(『増補史料大成』三一、臨川書店、一九八六)


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)、福𠩤隆善「法然上人と印西上人」(『仏教論叢』二二、一九七八)


【執筆者:野村恒道】