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出過三界

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しゅっかさんがい/出過三界

衆生生死を繰り返す三つの世界欲界色界無色界)を超出すること。諸仏の国土三界の外にあるとの説は、『大智度論』九三にも「浄仏土あり、三界を出づ。乃至煩悩の名もなし」(正蔵二五・七一四上)とあるように多くみられる。ただし、阿弥陀仏浄土に関する言及は『往生論』に「彼の世界の相を観ずるに三界の道に勝過せり」(聖典一・三五三~四/浄全一・一九二)とあるのが初出である。曇鸞は『往生論註』上に「浄土三界の所摂に非ず。何を以てか之を言う。欲無きが故に欲界に非ず。地居なるが故に色界に非ず。色有るが故に無色界に非ず。けだ菩薩別業の致す所のみ」(浄全一・二二七上)と述べ、阿弥陀仏浄土は、清浄世界であり三界のいずれにも属さないが故に、三界を超出した世界にあるとする。以後、道綽懐感をはじめ、浄土教祖師阿弥陀仏浄土出過三界であるとの立場をとる。しかし、浄影寺慧遠吉蔵迦才等が三界の内にあるとの説を主張するなど、後世、盛んに議論された。


【参考】金子寛哉『「釈浄土群疑論」の研究』(大正大学出版会、二〇〇六)、石川琢道『曇鸞浄土教形成論』(法蔵館、二〇〇九)


【参照項目】➡三界


【執筆者:石川琢道】