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円理

提供: 新纂浄土宗大辞典

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えんり/円理

寛永一四年(一六三七)—享保一〇年(一七二五)九月五日。相蓮社応誉、あざなは実空。知恩院三世真誉相閑の室に投じ修学。増上寺所化役者、同寺一臘を経て、元禄元年(一六八八)九月台命により館林善導寺一七世となり、同一二年に瓜連うりづら常福寺二八世、同一五年に鎌倉光明寺五四世に転住。宝永四年(一七〇七)三月台命により知恩院晋董し、同年八月知恩院住持として初めて大僧正に叙任された。同七年阿弥陀堂を山上より現在の地に移し、御廟堂を修理し拝堂を建設。同年霊元上皇より「華頂山」の勅額を賜り三門に掲げた。同八年正月法然上人五〇〇回遠忌に際し、中御門天皇より東漸大師加諡かしされ、法要の中日には宮門跡尊統法親王導師のもと勅会が執り行われた。正徳五年(一七一五)五月職を辞し、洛中富小路五条新善光寺に隠棲した。世寿八九歳。


【資料】『総系譜』『華頂誌要』『三縁山志』(以上、浄全一九)、『江戸幕府日記』


【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)


【執筆者:石川達也】