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光背

提供: 新纂浄土宗大辞典

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こうはい/光背

神仏から発せられる聖なる光をかたどってその背後に表したもの。後光ともいう。イランやギリシア・ローマの美術にも見ることができ、太陽の光を模した放射状の線を神々の像に付して聖なるシンボルとしたことに由来すると考えられる。さまざまな宗教において同様の表現が見られるが、仏教においては多くの形式に分類することができる。頭部に表される光背頭光ずこうと呼び、体の周囲に表される長楕円形のものを挙身光きょしんこう(略して身光)と呼ぶ。頭光と挙身光を組み合わせる形式が一般的である。いくつか例を挙げると、もっとも単純な形式は頭部に円形の板を表したもので円光背と呼ばれる。後には頭光と挙身光の周縁部に大きく火炎や植物・飛天などを表したものが現れた。全体の形は一枚の蓮弁のようであるが、舟の平面形に似ていることから、総称して舟形光背と呼ぶことがある。近年では周縁部の文様によってより細分化された区分を用いることが一般的で、火炎を表したものは火炎光背、唐草は唐草光背、飛天は飛天光背等と区分する。特殊なものとして不動明王の火炎光背には霊鳥迦楼羅かるらが翼を広げた形を模すことがあり、迦楼羅炎かるらえんと呼ばれる。唐草光背はインドのグプタ朝において葉が複雑に翻るデザインが生まれ、アジア全域に伝播した。唐の時代にはこの唐草と火炎が融合した、火炎唐草とでも呼ぶべきデザインも生まれた。飛天光背は中国の南北朝時代に天衣を複雑に翻す飛天の図像が形成されたこととあいまって生まれた。飛天の天衣があたかも火炎のように立ち昇っているのが特徴である。中国や朝鮮半島に多くの作例を遺し、日本でも飛鳥時代をはじめとして多くの作例を見ることができる。この他、例は多くないが、多数の化仏を取り付けた千仏光背と呼ばれるものがある。『華厳経』『梵網経』などに説かれている盧舎那仏を中心に三千大千世界があり、おのおのの世界にはそれぞれ化身たる仏がいて説法している、という教説に基づくものとして唐招提寺金堂盧舎那仏坐像(国宝)の光背がよく知られている。近世には構造的に簡便な舟形光背が宗派を問わず流行するようになった。浄土宗では本尊光背に関する儀軌や慣習が定められていないが、舟形光背が多く見られる。


【参照項目】➡後光一光三尊


【執筆者:近藤謙】