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他界観

提供: 新纂浄土宗大辞典

たかいかん/他界観

死後赴くとされる世界像で、その観念をいう。地理的・空間的に、しばしば集落内外の不気味な森・林・荒山・砂漠・洞穴・墓が他界と見なされる例は、あらゆる民族に見られる。埋葬の習俗に関連して、また、時間的に終末の後にくる宗教的な死後の世界が現実世界とは切り離されて、例えばキリスト教天国煉獄れんごく地獄が他界として想定されるように、他界観は多様極まりないのが実態である。仏教においては、釈尊は専ら死を超克して、なにものにもとらわれない覚者となる真実の道を説き、霊魂の有無、霊魂の滅不滅といった形而上の問題は説かなかった。釈尊とは釈迦牟尼の尊称であるが、ここにいう牟尼とは沈黙の意味であるので、釈尊とは釈迦族出身の沈黙の聖者を表していることになる。釈尊が沈黙したのは「知り得ないこと」と「語り得ないこと」に対してであり、人の生きるベき真実の道を明らかにすべきことが先決問題と説いた。他界観をめぐる議論は、釈尊入滅後になって師を慕う弟子の心情から起こったもので、部派仏教以降の展開であった。とくに大乗仏教の各種経典には浄土地獄が多く登場する。浄土仏国土であり、そのなかでも浄土教の興隆に伴い阿弥陀仏極楽浄土がもっとも知られている。一方、地獄はこの世で悪業の限りを尽くした者が堕ちていくところとされ、極楽とは反対に、悪人の死後赴く他界は地獄として描かれている。生前に善行を積めば極楽に生まれ、悪いことを積み重ねて来た者は地獄に堕ちるといった因果応報観念が反映されている。


【参考】藤田宏達『原始浄土思想の研究』(岩波書店、一九七〇)、中村元『ブッダ最後の旅—大パリニッバーナ経』(岩波文庫、一九八〇)、藤吉慈海『浄土教思想の研究』(平楽寺書店、一九八三)、藤井正雄『祖先祭祀の儀礼構造と民俗』(弘文堂、一九九三)


【参照項目】➡浄土地獄因果因果応報輪廻厭離穢土欣求浄土


【執筆者:藤井正雄】