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「三善為康」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:34時点における最新版

みよしためやす/三善為康

永承四年(一〇四九)—保延五年(一一三九)八月四日。平安後期の文人・算道家。少内記・算博士・諸陵頭・越前権介などを歴任した。もと射水姓で、一八歳で上洛し、算博士三善為長に師事して改姓した。算道に通じ、兼ねて紀伝道を学んだ。幼少より観音に帰し、五〇歳以後は毎日念仏一万遍を誦した。大治三年(一一二八)以後、為康往生夢告がしばしばあり、結縁するものが多く、保延五年に誓願文を捧げ西方に向かい息絶えたという。その熱烈な浄土信仰を吐露する著書として、『拾遺往生伝』『後拾遺往生伝』各三巻がある。また佚書『世俗往生決疑』は、経論の中から往生に関する語を抄集したものという。他に編著として、『朝野群載』全三〇巻(現存二一巻)、『童蒙頌韻』一巻、『続千字文』一巻が現存し、佚書に『金剛般若経験記』がある。


【参考】速水侑『浄土信仰論』(雄山閣出版、一九七八)


【執筆者:吉原浩人】