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信心

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しんじん/信心

仏の教えを信じて疑わない清らかな心。仏道およびその修行において最も重要な要素の一つ。『雑阿含経』二六には「何等を信力と為す。如来の所に於いて、信心を起こし、深く入りて堅固なり」(正蔵二・一八八上)といい、『華厳経』には「信は道の元、功徳を母となす」(正蔵九・四三三上)とあるように、信は仏道修行の基盤とされる。また『大智度論』一には「仏法大海は信を能入となし、智を能度となす」(正蔵二五・六三上)と、信は悟りに至る道の第一歩であると説かれ、『北本涅槃経』三五には「阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい信心を因と為す」(正蔵一二・五七三下)と、悟りの因になることが述べられている。『南本涅槃経』三二のように「仏性」を大信心と名づけている典籍もある。多くの経典では、悟りに至る最も重要なものとして信心を位置づけており、『起信論』においては信心を四種に分けて詳述している。親鸞は「信心為本」とし、阿弥陀仏を信ずる心こそ往生浄土のための最も肝要な正因であると述べた。しかし、浄土宗では「念仏為先」であり、信心よりも念仏の行の実践を先行させ、信心もその継続の中に自ずと堅固になってくるとの立場をとる点を強調することに根本的な相違がある。


【参考】平川彰『平川彰著作集三・四 初期大乗仏教の研究』一・二(春秋社、一九八九・一九九〇)、同『平川彰著作集五 大乗仏教の教理と教団』(春秋社、一九八九)


【参照項目】➡深心信心為本


【執筆者:藤井正雄】