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因明

提供: 新纂浄土宗大辞典

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いんみょう/因明

仏教論理学のこと。インドにおいて、論理学は仏教に先行してニヤーヤ学派等で発達していたが、それが仏教に導入され因明(Ⓢhetuvidyā)と呼ばれた。因明仏教思想のみならず、インド諸哲学を論理的に解明し正しい知と誤った知とを区別し、誤りからの脱却と理路整然とした真実知の獲得を目指すものである。換言すれば、仏教内外の諸学派が真理として打ち立てる見解を批判的に吟味し整合した知へと導くものである。したがって、そこには様々な約束事があり約束に従わない理論は、首尾一貫した正しい見解ではないとされる。因明は、『因明正理門論』『集量論』等を著したディグナーガ(陳那、四八〇—五四〇)、『量評釈』『量決択』『正理一滴論』等を著したダルマキールティ(法称、六〇〇—六六〇)により確立され、彼らはブッダの教説である諸法無我諸行無常などが、より整備され説得力を持った理論として仏教内外にいかに提示し得るか、を追求してきたともいい得る。それには、例えば、三支作法による証明がある。すなわち、


  (宗)音声は無常である。


  (因)存在するという性質(所作性)があるからである。


  (喩)おおよそ作られたものは無常である。例えば壺などのように(同喩)。


     常住であるものは作られたものではない。例えば空間のように(異喩)。 このように宗(結論)・因(論理的根拠)・喩(主張命題とその具体例)の三支によって無常証明するのである。このような証明によって、諸存在は刹那的であり、諸行無常が立証され、刹那的でない常住な自我(アートマン)は存在せず、諸法無我が成立することになる。以上の正当な証明を導くために因の三相(三条件)が規定された。玄奘は『因明正理門論』、シャンカラスヴァーミン(五〇〇—五六〇)の『因明入正理論』を訳出し、基は後者を注釈した。日本では玄奘に師事した道昭(六二八—七〇〇)を継承する行基らの元興寺がんごうじ系、また玄昉げんぼうらの興福寺系の因明の学系がある。チベットではゴクローツアーワ・ローデンシェーラブ(一〇五九—一一〇九)、チャパ・チューキセンゲ(一一〇九—一一六九)のサンプ系、サキャパンディタ(一一八二—一二五一)らのサキャ派系、またゲルク派における因明に関する吟味の伝統がある。


【参考】三枝充悳編『講座仏教思想二 認識論・論理学』(理想社、一九七四)、平川彰他編『講座大乗仏教九 認識論と論理学』(春秋社、一九八四)


【執筆者:森山清徹】