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鬼子母神

提供: 新纂浄土宗大辞典

きしもじん/鬼子母神

仏教を守護する女神。「きしぼじん」ともいう。ⓈHārītīの漢訳で訶梨帝と音写し、歓喜母、愛子母とも訳される。『鬼神母経』によると、鬼神王槃闍迦の妻で子どもが一万人あったともいわれる。元来性悪粗暴で邪悪な夜叉神であり、インドの王舎城に来ては他人の幼児を食い殺すなど悪行を重ねた。仏は、鬼子母を教化するために最愛の末子を隠して子を失う悲しみを実感させ改心させたという。インドでは、仏法と子どもを守護する善神として信仰され、北インドやガンダーラを中心に美しい女神の彫刻が発見されている。中国では九子母神として信仰され、日本には平安時代に密教とともに伝来した。貴族の間で鬼子母神像を本尊として、子授け・安産・子どもの息災を願う祈禱「鬼子母法」「訶梨帝母法」が修された。その像容は、端麗で豊満、子宝を象徴する石榴ざくろを手に持つ天女像として描かれた。日蓮は、『法華経陀羅尼品に鬼子母神が、十羅刹女とともに法華経信者とその国土守護を誓願していると説いていることより、大曼荼羅の中に勧請かんじょうし、諸天善神のなかでもとくに二神を尊崇した。日蓮滅後、鬼子母神を母、十羅刹女を子に設定した母子神信仰が成立し、室町時代になると法華信奉者の間では鬼子母神一神が単独で信仰されるようになる。江戸時代になると日蓮宗修法本尊として有角・裂口・憤怒相の「鬼形」像が造形され、旧来の天女形は安産・子育て、鬼形は破邪調伏修法本尊として用いられた。鬼子母神信仰は、日蓮宗の守護神として独自の展開をとげ、千葉中山法華経寺、東京雑司が谷の法明寺、入谷の真源寺の鬼子母像が著名である。その一方で民間においては、女性を中心に、幼児を抱いた母形の絵像を掲げ、題目を唱えて子どもの成長を祈る鬼子母神講が組織された。


【参考】宮崎英修編『鬼子母神信仰』(『民衆宗教史叢書』九、雄山閣、一九八五)


【執筆者:工藤美和子】