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高砂浦

提供: 新纂浄土宗大辞典

たかさごのうら/高砂浦

加古川の河口部にあったみなと(兵庫県加古川市尾上町養田付近)。建永二年(一二〇七)三月、法然が讃岐配流の途中に立ち寄り、老漁師夫婦を教化した所。中世には加古川河口東岸の今津が湊としての機能をもち、治承四年(一一八〇)高倉上皇は厳島神社参詣の途次に高砂のとまりに寄っているが、湊は浅瀬であったために端舟はしぶね輿こしを乗せて上陸している。また、『平家物語』八・九には高砂から舟に乗って和泉国や讃岐国に渡る話を載せる。謡曲『高砂』の前場の舞台にもなっているが、慶長六年(一六〇一)池田輝政が加古川河口の西岸に港町を建設して高砂城を築いた高砂町(兵庫県高砂市高砂町)が発展し、そこに法然上人二十五霊場第三番十輪寺がある。


【資料】『四十八巻伝』三四、源通親『高倉院厳島御幸記』(『群書類従』一八)


【参考】『加古郡誌』(名著出版、一九七五)


【参照項目】➡十輪寺


【執筆者:山本博子】