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高山龍善

提供: 新纂浄土宗大辞典

たかやまりゅうぜん/高山龍善

明治一〇年(一八七七)五月二〇日—昭和二四年(一九四九)三月一六日。明蓮社見誉昇阿浄雲。浄土宗布教師重鎮の一人。幼名善之助、材木商吹田屋(大阪市北区堀川)に父杉野藤助、母ハナの次男として生まれる。幼少期は長徳寺高山直念のもとで育てられるが、明治一八年(一八八五)六月直念が没したため、東山覚成をとおし安定寺(奈良県吉野郡大淀町中増)に預けられた。同七月高山姓を相続する。同一九年東山㳎龍の付弟となる。同二九年龍善と改名。同年七月金戒光明寺において獅子吼観定ししくかんじょうより宗戒両脈相承。同三五年七月二八日西方院牟田寺(奈良県吉野郡吉野町六田)住職を継ぐ傍ら布教に志を立て、上洛し知恩院内宗立布教練習所で修学する。後、上京し伝通院(東京都文京区小石川)に掛錫かしゃく、同四〇年七月宗教大学伝道部を卒業。奈良教区布教団長(現在の教化団長)、総本山布教師会会長、総本山知恩院執事兼教務部長等、要職を歴任。昭和一〇年(一九三五)浄厳院(滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺)住職となる。同二二年一〇月病気のため浄厳院を引退し牟田寺で隠居。同二四年三月一六日七一歳で遷化。著書に『白道を歩む』(華頂文庫)、『五重相伝講話』(『浄土宗選集』一〇)、『鎮西国師の生涯』(月刊『浄土』昭和一二年度版)等があり、法話録とし「一心専念の御教を仰ぎて」(『浄土宗布教全書』六)等がある。


【参考】『浄土宗選集』一〇(同朋舎出版、一九八四)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:森田康友】