操作

雲崗石窟

提供: 新纂浄土宗大辞典

うんこうせっくつ/雲崗石窟

中国四大石窟の一つ。中国山西省大同市の中心から西一六キロ、武州山の南麓に位置する。二〇〇一年にユネスコの世界文化遺産に登録された。大同は北魏(三八六︱五三四)時代に北方遊牧民族であった鮮卑族せんぴぞくの一部族である拓跋部たくばつぶの都がおかれた平城ひらじろで、現在は武州川沿いに広がる炭坑の町として知られる。東西約一キロにわたって造営された石窟は、北魏時代の和平年間(四六〇—四六五)に曇曜どんようにより五つの石窟、いわゆる「曇曜五窟」が開鑿かいさくされたことにはじまる。航空写真で確認すると、武州山に構築された古代の要塞である武州塞の下に雲崗石窟が開鑿されていることがわかる。これら五窟の仏像は高さ一三メートルを超え、それぞれ北魏の道武帝、明元帝、太武帝、景穆けいぼく帝、文成帝の姿を写したといわれ、髪型・服装も鮮卑族の特徴が見られる。一五〇〇年以上の時を経て風化が進んだものも多く見られるが、四〇万平方メートルにわたる石窟・仏龕二五二ヶ所に大小約五万一千体の仏像が彫られている。雲崗石窟の主尊として親しまれている第二〇窟の露座の大仏は、もともと石窟の中に造営されたものが一〇世紀に起きた崖崩れで、露座となったと伝えられる。第三窟には前後二室があり、かつては全体を蓋う巨大な木造建築があったといわれ、後室にある主尊の阿弥陀仏は、その特徴から隋唐時代のものといわれる。


【参照項目】➡石窟寺院


【執筆者:坂上雅翁】