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難証二由

提供: 新纂浄土宗大辞典

なんしょうにゆ/難証二由

今時に聖道門によって悟ることが難しい理由について時機両面から述べたもの。一には、釈尊の在世から遠く離れた末法時であること。二には、真理は深いのに人の理解力が微劣微少であること。『安楽集』第三大門に「聖道の一種は今時に証し難し。一には大聖を去ること遥遠なるに由る。二には理深く解微なるに由る」(浄全一・六九三上)とある。また道綽は『安楽集』第一大門においても「聖を去ること遥遠にして、機解浮浅暗鈍なるに由るが故なり」(浄全一・六七四上)と時機を判じ、時機相応の教えである浄土一門のみを勧める。また『選択集』一において法然は『安楽集』を文証として聖浄二門判を説き、曇鸞道綽聖道門を捨て浄土門に帰入した例をあげ、「末代の愚魯ぐろ、むしろこれにしたがわざらんや」(聖典三・一〇三/昭法全三一三)と難証二由にもとづく時機観を吐露している。


【参考】佐藤健「道綽禅師の聖浄二門判について」(『人文学論集』九、一九七五)、藤堂恭俊「法然の聖浄二門判の基本的性格とそれを成り立たせるもの」(『法然上人研究』山喜房仏書林、一九八三)


【参照項目】➡聖道門・浄土門時機相応


【執筆者:木村迎世】