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鑁阿寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ばんなじ/鑁阿寺

栃木県足利市家富町。真言宗大日派総本山金剛山仁王院法華坊。『鑁阿寺縁起』によると、建久七年(一一九六)足利義兼が開基となり、伊豆走湯山そうとうざん理真開山したとするが、伽藍は足利氏の祖義康以来の持仏堂が発展したもの。本堂の大御堂は、天福二年(一二三四)に義氏が創建。鎌倉時代は足利庄政所まんどころの直接の庇護下にあり、室町時代には多くの寺領が寄進され、多くの子院を擁して隆盛を誇った。境内は中世土豪の居館の面影を残しており、国史跡に、また『鑁阿寺文書』六一五通は国重要文化財に指定されている。浄土宗との関係では、『三縁山志』一に増上寺の前史について諸説挙げているが、その一節に鑁阿寺の名前が出ているのみである。


【資料】『鑁阿寺文書』(『栃木県史』中世史料編一・五)、『三縁山志』一(浄全一九)


【参考】小此木輝之「足利鑁阿寺寺名考」(『仏教史研究』一〇、一九七六)、足利市編『足利市史』上ノ一(一九二八)、栃木県史編さん委員会編『栃木県史』通史編五(栃木県、一九八四)


【執筆者:𠮷水成正】