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野宮公継

提供: 新纂浄土宗大辞典

ののみやきんつぐ/野宮公継

安元元年(一一七五)—嘉禄三年(一二二七)一月三〇日。藤原氏徳大寺流の祖実能さねよしの曽孫、父は左大臣藤原実定、母は上西門院女房備後。号は野宮。元仁元年(一二二四)左大臣となる。『四十八巻伝』によると、公継はかねて法然に師事していたため、元久二年(一二〇五)一〇月に出された『興福寺奏状』では、法然とともに重科に処すべき対象にされたという。嘉禄三年一月三〇日、種々の奇瑞を現して往生をとげたという。


【資料】『尊卑分脈』一(『国史大系』五八)、『四十八巻伝』一二、三一(聖典六)


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)


【執筆者:福田行慈】