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角谷隆音

提供: 新纂浄土宗大辞典

すみやりゅうおん/角谷隆音

文化一四年(一八一七)三月三日—明治一六年(一八八三)五月一四日。演蓮社説誉神阿本円。三河国碧海郡大浜(愛知県碧南へきなん市羽根町)の生まれ。幼名茂三郎。文政七年(一八二四)伯父の徳住に随い出家。天保五年(一八三四)徳円に師事し学を修める。同一三年正月に岡崎源空寺住職となるも、徳住示寂のため同年冬に九品院へ転住。弘化三年(一八四六)壁ヶ岳徳円寺住職、さらに数箇寺を歴任する。安政三年(一八五六)洛南西向寺へ入った後、八幡正法寺、粟田口定信院を経て、京都寺町聖光寺へ入る。養鸕うがい徹定てつじょうや富岡鉄斎と親交を結び、和字憲法の校合などに力を注ぐ。また、佐田介石に師事して仏教天文学の研究に努め、フランスの天文学者エミールとも親交を結ぶ。明治一六年、須弥山世界に基づく梵暦学校を建設するために尽力している最中に倒れ、開校を前に聖光寺にて示寂。遺稿に廃仏毀釈の際に書かれた『全政王道論』のほか、『維持国体述懐』『本天略附暦』等がある。


【参考】石橋誡道「勤皇僧神阿和尚の伝」(摩訶衍一八、一九三八)


【参照項目】➡養鸕徹定聖光寺徳住


【執筆者:朝岡知宏】