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観念論

提供: 新纂浄土宗大辞典

かんねんろん/観念論

idealismの訳語で、物質の客観的存在を主張する実在論(realism)に対して、認識はただ意識の内容のみに関わる根源性を有するという考え方。哲学思想の伝統においては、イデアや宇宙的な精神が世界の根源であるという思想が形而上学的な意味で客観的観念論とされ、唯物論(materialism)に対する唯心論(spiritualism)と等しく、真に現実的な実在は物体(物質)・事物ではなくて精神・理念であるとする。近代に入ると、イギリスのバークリー(一六八五—一七五三)は、物が在るということは見たり触れたり味わったり嗅いだり聞いたりするとおりのものであり、それを「観念の束」と言い、したがって「物が存在するということは観念として存在しているのみである」とする主観的観念論を主張した。カント(一七二四—一八〇四)は、経験的世界は超個人的な感覚的に与えられたものによって構成され成立するという先験的観念論を説示し、それに続き、いわゆるドイツ観念論の系譜が形成された。それは、実践的倫理的な意味では理想主義(idealism)であって、現実の諸相を考慮するよりはむしろ理想が現実を支配しているとして、その理想の実現を志向する。現代においては、マルクス主義による弁証法的唯物論および科学思想の影響の下で、観念論は社会的現実および自然の諸現象を無視する主観的・教条的・抽象的な理論として悪い意味で捉えられることがある。観念論は西洋思想を貫く重要な理論であるが、厳密に言えば、西洋近代が強調するデカルト的な二元論(物質と精神)であり、それは宗教思惟とは異なるといわなければならない。浄土教の特色からいえば、浄土は物の表象ではなく自然的実在でもなく、凡夫が欣求し願い生まれるところであるが、それは凡夫の苦悩の現実を離れてはありえない。したがって浄土教は、単に図式的に観念論—実在論、唯心論—唯物論、理想主義—現実主義というように当てはめて捉えることはできない。


【執筆者:藤本淨彦】