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提供: 新纂浄土宗大辞典

けん/見

見ること・理解すること・見解などを意味する語。『俱舎論』(正蔵二九・一〇下)では、見について、対象を考慮し判断を引き出す作用、物質を見る作用という二種の定義をしている。見の意味は文脈によって様々であるが、多くは、誤った見解を意味する。それは見が、六煩悩の一つであることからも理解できる。煩悩としての見(Ⓢdṛṣṭi)は、時に悪見ともよばれ、①有身見②辺執へんしつ見③邪見④見取⑤戒禁取かいごんじゅの五つに分類される。その他にも、七見や六十二見などが煩悩として説かれる。また見が正しい見解を意味する場合は、正見や知見ともいわれる。正見は八正道の第一を占め、正しい認識を意味する。知見は、物事を正しく知り理解することであり、時に如実知見といわれるように、ありのままに物事を把握することである。


【参照項目】➡六煩悩五見八正道


【執筆者:石田一裕】