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西応寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

さいおうじ/西応寺

東京都港区芝。田中山相福院。東京教区№四五。開山は光蓮社照誉明賢尼。応安元年(一三六八)起立。中興は当寺一六世で観智国師存応法弟である智誉存冏ぞんげい。江戸時代以前は小さな堂宇であったが、天正一八年(一五九〇)または一九年、徳川家康が関東入国の折に当寺に来て開基の来由を尋ね、同年一一月に寺領を寄附(朱印一〇石と境内九千坪余りを拝領)した。独礼の寺で、昔は浄林院・善受院・正定院の三塔頭たっちゅうがあった。安政六年(一八五九)には最初のオランダ公使館がおかれたが、慶応三年(一八六七)の薩摩藩邸襲撃事件のとき兵火により全焼している。「最初のオランダ公使宿館跡」(都旧跡)の場所は、現在西応寺が運営する幼稚園となっている。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『蓮門精舎旧詞』一九(続浄一八)、『〈文政〉江戸府内寺社書上』(『江戸浄土宗寺院寺誌史料集成』)、『御府内備考続編』五八(『御府内寺社備考』三)


【参考】『東京市史稿』宗教篇第一(東京市、一九三二)


【執筆者:原口弘之】