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褊衫・裙

提供: 新纂浄土宗大辞典

へんざん・くん/褊衫・裙

上衣の褊衫と、下衣の裙からなる二部式の法衣。上衣は偏衫と記すこともある。浄土宗法衣は、天台・真言の流れを汲む「教衣」、禅家から取り入れられた「禅衣」、律系の法衣である「律衣」に分けられるが、褊衫・裙は律衣に属する「ころも」の原点ともいうべき貴重な法衣で、褊衫と裙を綴り合わせて作られた法衣直綴じきとつである。初期仏教教団出家者が用いた僧衣は三衣であるが、教団の発展に伴い、三衣以外の助身衣じょしんねとして、左肩を覆う僧祇支そうぎし、右肩を覆う覆肩衣ふけんえ、下半身に巻く涅槃僧などが許されたといわれる。三衣の被着法の基本は、左肩を覆い、右肩を出す偏袒右肩へんだんうけんであるが、中国では、肌を出すことを善しとせず、露出した右肩を隠すための偏衫右辺へんざんうへんと、左肩の袈裟下に着ける僧祇支を合わせて、衿・袖などを付けた褊衫が製せられた。これに下裙・内衣などと訳された、涅槃僧を組み合わせることにより、袈裟の下に着用する法衣の原型が成立した。大雲褊衫・裙の由来について『啓蒙随録』に「詳しくは僧祇支といい、覆膊衣ふくばくえと翻す。肩を覆う衣という意味で、袈裟の下掛けである。祇支と覆肩とは同じ物、別の物とする二つの論がある…祇支の本形は衫も袖もない物であるが、中国魏の時代に、国風に順うべきであるとする勅旨に依って褊衫となった…泥洹僧ないおんそうは裙と翻し、また内衣という。祇支の下、腰より下に着る物である…後に褊衫に裙を合せて直綴になった」(初編二・二〇ウ~二一ウ)などと述べている。


【資料】『釈氏要覧』上・四七オ、ウ


【参考】羽田芳隆「法衣について—褊衫・裙—」(『教化研究』五、一九九四)【図版】巻末付録


【参照項目】➡直綴


【執筆者:熊井康雄】