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藤原範光

提供: 新纂浄土宗大辞典

ふじわらののりみつ/藤原範光

久寿元年(一一五四)—建保元年(一二一三)四月五日。後鳥羽院の近臣。父は藤原貞嗣の流れを継ぐ範兼、母は源俊重女。姉は後鳥羽天皇の乳母兼子。建仁三年(一二〇三)に権中納言となる。承元元年(一二〇七)に出家し静心と号す。『四十八巻伝』一二・『九巻伝』八下によると、日頃より法然帰依し、念仏生活を送っていたが、病床の夢中に一人の高僧が現れ、自分は法然であり、唐では善導と名乗っていたと話した。明後日が命終の日であることを伝えられた範光は夢告どおりに往生したという。


【資料】『尊卑分脈』二(『国史大系』五九)、『四十八巻伝』一二(聖典六)


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)


【執筆者:福田行慈】