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臨終十念

提供: 新纂浄土宗大辞典

りんじゅうじゅうねん/臨終十念

命が終わるときに臨んで称える十声の念仏のこと。『観経下品下生には「声をして絶えざらしめ、十念具足して、南無阿弥陀仏と称す。仏名を称するが故に、念念の中において、八十億劫の生死の罪を除く、…すなわち極楽世界往生することを得」(聖典一・三一二~三/浄全一・五〇)と説いている。これについて、源信は『往生要集』中に「臨終の一念は百年の業に勝れたり」(浄全一五・一一六上)と説くように、最後心、臨終まぎわの心は平生の心よりも勝れているとして、臨終での十念、あるいは一念を重視した。これに対して法然は、『十二問答』において「問いていわく、臨終の一念は百年の業にも勝れたりと申すは、平生の念仏の中に臨終の一念程の念仏をば申し出しそうろうまじくそうろうやらん。答う、三心具足念仏は同じ事なり」(聖典四・四三八~九/昭法全六四〇)と説き、三心具足念仏には臨終と平生の異なりがないとする。また『念仏往生要義抄』には「問いていわく、最期の念仏と平生の念仏といずれか勝れたるや。答えていわく、ただ同じ事なり。その故は平生の念仏臨終の念仏とて何の替り目かあらん。平生の念仏の死ぬれば臨終の念仏となり、臨終の念仏の延ぶれば平生の念仏となるなり」(聖典四・三二八/昭法全六八六)と説くように、ことさらに臨終の十念一念)のみを重視する姿勢はなかったと言える。


【参照項目】➡臨終正念臨終来迎


【執筆者:曽和義宏】