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空也念仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

くうやねんぶつ/空也念仏

空也衆生教化のために創始したという踊り念仏。鉦(金鼓)・太鼓瓢簞ひょうたんを打って拍子に合わせて踊躍ゆやくする念仏をいう。『一遍聖絵』四には「そもそもをどり念仏は、空也上人あるいは市聖、或は四条の辻にて始行し給けり」(『続群書類従』九・上)とあり、空也踊り念仏の先達と考えられている。そして『空也上人絵詞伝』には、鹿を殺して空也の化導をうけ、弟子となった平定盛が有髪のまま衣を着し、一瓢いっぴょうにて寒中の行おこたらず、和讃称名を唱え、念仏修行して衆生を勧めたとある。空也開基と伝える京都の空也堂では、一八家の鉢たたきが一一月一三日本堂に集まり、四十八夜の期間、行入りして踊り念仏を修し、一二月晦日まで洛中洛外をめぐって無常和讃ならびに高声念仏を唱えたという。現在、空也念仏といい鉢叩きと称してふくべを叩いて踊る空也念仏踊りは各地にみられるが、福島県会津若松市河東町広野冬木沢の八葉寺に伝わる空也念仏踊りが有名。地元の伝承では空也が諸国遊歴の途次この地にとどまり、この地の人々に歓喜踊躍念仏を伝えたことに始まるという。現在行われている空也念仏は長く中断されていたが、大正一一年(一九二二)に再興されたものという。念仏踊りを演じるのは、導師一人、職衆とよぶ踊り手八人を一組とし、ふくべ二人、太鼓二人、鉦四人の構成。すべて定盛頭巾ずきんというものをかぶり、黒の袈裟をまとい、きゃはん・白足袋・草鞋ばきの装束である。内容は導師祭文があり、香偈三宝礼略懺悔に続いて念仏踊りに入り、和讃に合わせて、瓢・鉦・太鼓が叩かれる。歌には三種あり、ご和讃空也上人和歌五首・歓喜踊躍和讃で、最後に導師を中央にして職衆は円陣となり、念仏を唱えながら足を上げてはねるように踊る。なお空也堂系の六斎念仏空也念仏をなのるところもあり、また空也開創伝承をもち空也上人像をまつる西福寺(福岡県行橋ゆくはし市)では病気流行のとき、百万遍念珠鉦鈷空也念仏を行う。


【参考】『嬉遊笑覧』六上・一一、『福島県史』二三・民俗一(福島県、一九六四)、佛教大学民間念仏研究会編『民間念仏信仰の研究 資料編』(隆文館、一九六六)


【参照項目】➡空也空也堂踊り念仏念仏踊り


【執筆者:成田俊治】