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熊谷寺 (くまがいじ)

提供: 新纂浄土宗大辞典

くまがいじ/熊谷寺

熊谷寺 (ゆうこくじ)


和歌山県伊都郡高野町高野山高野山真言宗熊谷次郎直実が隠棲したと伝える高野山の遺跡。『高野伽藍院跡考』(享保年間〔一七一六—一七三六〕成立)によると、元暦年間(一一八四—一一八五)に直実が高野山に来遁し、蓮華谷の新別所の社友に入り、明遍門下の念仏者の庵室であった知識院に住していたが、建永の法難での法然流罪のことを聞いて山を下ったという。『高野山熊谷寺略縁記』(文政五年〔一八二二〕刊)では、直実往生の後に、息子の直家が父の遺跡に一寺を建立して追孝を営んだという。古くは知識院を熊谷寺と号したが、後に大門祓川はらいかわの報恩院、さらに知識院跡の持宝院が熊谷寺と称し、大正七年(一九一八)熊谷寺と改称した。当寺の東北にある空海廟所である奥の院への参道には、新撰元祖大師二十五霊場第八番の円光大師御廟五輪石塔)、直実・敦盛供養塔がある。


【資料】『高野伽藍院跡考』(『続真言宗全書』四一)、『高野山通念集』五(『近世文芸叢書』二、国書刊行会、一九一〇)、名村愚仙『円光大師御遺跡四十八所口称一行巡拝記』、『高野山熊谷寺略縁記』(中野猛編『略縁起集成』六、勉誠出版、二〇〇一)


【参考】浄宗会編『円光大師法然上人御霊跡巡拝の栞』(知恩院、一九九六)


【執筆者:山本博子】