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源光寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

げんこうじ/源光寺

大阪市北区豊崎。清浄瑠璃山念仏三昧院。俗に浜本山あるいは浜の寺と呼ばれる古刹である。大阪教区№一七二。天平一九年(七四七)行基創建。初めは平生寺と号した。聖武天皇より勅額を賜り勅願所として七堂伽藍すべて整った名刹であったという。その後良忍がこれを中興し、念仏宗一派の本寺となし、融通念仏弘通した。さらに、法難により讃岐国に配流にあった法然が、勅免により承元元年(一二〇七)一二月、配所を出て勝尾寺草庵に入ったとき、日想観を修するために、春秋の彼岸四天王寺へ参籠する道すがら、時々当寺に立ち寄り、荒廃した堂宇を再建し、寺号源光寺と改め、弟子湛空に自身の姿を彫刻させ、自ら開眼供養して当寺へ納めたとされる。円光大師旅姿尊像がこれである。また、法然自ら詠んだとされる歌二首が残っている。「源を たづねてぞしる この寺の 光あまねき 法のともしび」また「旅の身は 心の連を只唱え 弥陀の光の 法の道かな」。


【資料】『源光寺文書』


【執筆者:藤野立徳】