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深正院

提供: 新纂浄土宗大辞典

じんしょういん/深正院

兵庫県尼崎市大物町。道慧山。兵庫教区№四五。もと知恩院末。もと尼崎寺町如来院法然上人二十五霊場、第四番霊場)の末寺としてあった安養寺(尼崎城主青山氏菩提寺)が貞享元年(一六八四)神戸へ移転。その跡地に建てられた、旧尼崎藩主松平遠江守とおとうみのかみ(桜井家)在城時代の菩提寺。桜井松平家九代目の松平忠俱が元禄九年(一六九六)に大坂城在勤中に卒去し、その菩提を弔うため第六代尼崎城主松平忠喬ただたかが忠俱の院号をその名として正徳元年(一七一一)に建立したものと伝わる。享保年間(一七一六—一七三六)に再興。摂津国触頭ふれがしらであった。境内には松平氏一族やその家臣の墓などがある。


【参考】『浄土宗兵庫教区寺院名鑑』(一九七四)、『尼崎地域史事典』(尼崎市、一九九六)、『尼崎志』第一篇、宇高良哲「浄土宗の触頭制度」(『浄土宗の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)


【執筆者:高橋徹真】