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浄土宗讃歌

提供: 新纂浄土宗大辞典

じょうどしゅうさんか/浄土宗讃歌

浄土宗門で編集刊行、または製作・上演された讃歌、あるいは浄土宗音楽法要等で、仏祖等を讃歎する歌曲のこと。広義には声明詠唱等も含まれるが、明治期以降に仏教音楽として「讃仏歌」等が作曲されるようになり、声明詠唱等と区分している。声明雅楽の楽理ではなく、西洋音楽の楽理に基づいて作曲されたものをいう。声明は男性合唱であり、メロディ展開の少ない斉唱であるのに対して、讃歌はオーケストラ、ピアノ等と演奏し、独唱や混声合唱のメロディ性のある楽曲をいう。明治二二年(一八八九)に岩井智海仏教唱歌会を設立し、『稿本 仏教唱歌集』(同二五年)、『仏教唱歌集 第二編』(同二六年)、『仏教音楽論』(同二七年)を刊行した。この会は洋楽による仏教音楽を組織的に実践した最初の団体であり、仏教音楽は将来の布教に資する僧侶必修学科と論じた。同三五年には原青民梶宝順・来馬琢道(曹洞宗)が仏教音楽会を設立し、『仏教唱歌集』を刊行し、仏教唱歌の普及に努めた。大正一三年(一九二四)に宗務所は山田耕作校閲・長妻完至作曲の『讃仏歌集』を、同一五年に『讃仏歌 第二集』を刊行した。これまでの単旋律の讃仏歌集に比して、浄土宗は混声四部の曲を収め、また青少年教化運動の発展を期した。昭和六年(一九三一)には、弘田龍太郎が「法然上人詠草による四つの歌」を作曲した。同七年、中村和子作詞・弘田龍太郎作曲「法然上人讃歌 児童用」、里見達雄作詞・弘田龍太郎作曲「法然上人讃歌 青年用」が作られた。同一〇年には浄土宗児童協会により『讃仏歌集 第三集』が、同二三年には神田寺聖歌隊編『仏教聖歌 一』が刊行された。同二九年の松濤基道作曲『讃歌 一 勤行譜』は、勤行式に合唱とピアノ伴奏譜を付した最初の音楽法要曲である。昭和三五年、知恩院は七五〇年大遠忌のために佐藤春夫作詞・信時潔作曲『法然上人頌』の斉唱譜・女性三部・混声四部合唱譜を刊行した。同三六年、知恩院は藪田義雄作詞・松本民之助作曲の聖譚詞『浄土曼陀羅』を製作した。同三七年、宗務所は松濤基編『讃歌』を、同四六年、知恩院おてつぎ運動本部が『浄土宗 音楽法要 第一集』を刊行した。同四九年開宗八〇〇年に際し、知恩院は藪田義雄作詞・団伊玖磨作曲の浄土宗音楽法要連頌』音楽法要第二集を刊行した。同五五年には、仏教音楽研究所創立一五周年記念・法然上人降誕八五〇年おまち受け演奏会で、矢田部誠子作詞・矢田部宏作曲のオラトリオ「光のなかに」を上演した。このほかにも、浄土宗の「新しい音楽法要」(藤田和海作詞・小川隆宏作曲)、独唱曲「一枚起請文」(小川隆宏作曲)、オラトリオ「仏陀への道」「善導大師」「法然上人の生涯」(森本徳子作詞・小川隆宏作曲)等がある。八〇〇年大遠忌には、「宗祖法然上人讃歌」(森本徳子作詞・小川隆宏作曲)が上演された。


【参考】飛鳥寛栗編『日本仏教洋楽資料年表』(法蔵館、二〇〇八)


【参照項目】➡声明音楽法要法然上人頌仏教音楽研究所


【執筆者:小川隆宏】