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桜ヶ池

提供: 新纂浄土宗大辞典

さくらがいけ/桜ヶ池

静岡県御前崎市佐倉。池宮神社の社域にある池。法然の師皇円は今生において生死解脱することができず、亡くなれば仏法のことも忘れてしまうので、長寿の報いを受けて、五六億七千万年後にこの世に出現する弥勒菩薩の教えを待つために、長寿である大蛇の身に転生して桜ヶ池に棲もうと思い、臨終に池の水を掌の中に入れて入滅したという。この説話は『四巻伝』一、「一期物語」(『醍醐本』)、『四十八巻伝』三〇など法然諸伝に載るが、法然桜ヶ池に赴いたとするのは『弘願本』二、『琳阿本』二、『九巻伝』二上などであり、とくに『九巻伝』では法然皇円の所業を悲しんで念仏回向したことを記す。『三国伝記』一一には、桜の前という美女と共に都から下向した国司が池で遊宴を催したところ、池の水が波立ち女を水底に引きずり込んだので、国司は池の主を退治しようと焼き石を池に入れること七日七夜、大毒蛇の死骸が浮上した。この故事により「桜ノ池」と呼ぶという地名起源を記す。『和漢三才図会』六九には、牛頭ごず天王を祭神とする「池之社」に男池と女池があり、秋彼岸中日に、ぬさした小豆飯を器に盛り、男池の神廟に供えた後、それを池の中央に沈めると、日暮れには空の器が浮かび上がってくるという神事を記す。しかし、『遠江国風土記伝』一二では女池での神事とし、史料により混乱が見られる。現在、男池は埋め立てられて消滅し、女池で池宮神社の特殊神事として納櫃のうひつ祭(お櫃納め)が行われ、静岡県無形民俗文化財になっている。


【資料】『三国伝記』(仏全一四八)、『翼賛』四九、寺島良安編『和漢三才図会』下(東京美術、一九七〇)、『遠州桜ケ池由来記』(浜岡町佐倉地区民俗調査報告書『〈桜ケ池のお櫃納め〉と佐倉の民俗』浜岡町教育委員会、一九九九)


【参考】平祐史「遠州桜ケ池譚私攷」(『法然上人伝の成立史的研究』四、知恩院、一九六五)、梶村昇「遠州桜が池説話の意味するもの」(『浄土宗学研究』一九、一九九二)


【参照項目】➡皇円応声教院


【執筆者:山本博子】