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易往而無人

提供: 新纂浄土宗大辞典

いおうにむにん/易往而無人

極楽浄土は容易に往くことができるにもかかわらず、往生する人はまれであるという説。『無量寿経』下に「必ず超絶し去って、安養国に往生することを得れば、おう五悪趣り、悪趣自然に閉じ、道に昇ること窮極ぐごくなし。往き易くして人なし。その国、逆違せず。自然く所なり。何ぞ世事を棄てて、勤行して道徳を求めざる。極長生を獲て、寿楽極まりあることなかるべし。しかるに世人薄俗にして、共に不急の事を諍う」(聖典一・二六〇~一/浄全一・二四)とある。極楽浄土往生すれば五悪趣への道を断ち切って、寿命無量の環境において自然仏道を歩むことができるのだから、日常の世事を捨てて仏道修行に励むべきである。しかしながら、世俗の人たちは浅はかであり、互いに争ってばかりいるという。吉蔵は『観経義疏』にこの経文を、極楽浄土における仏道進趣の因として挙げている(浄全五・三二八上)。迦才かざいは『浄土論』下に、易往と無人を対句表現と捉えて独特の解釈を示している(浄全六・六六七上)。聖冏は『糅鈔にゅうしょう』四に「仏願力を以て往生を得易きが故に易往と云う。然るに願生人希なるが故に無人と云う」(浄全三・一二三下)と釈している。


【参照項目】➡横截五悪趣


【執筆者:工藤量導】