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戒と念仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

かいとねんぶつ/戒と念仏

浄土宗においては、戒と念仏の関係が重視されてきた。これは、専修念仏の道を歩むことは、決して戒を放棄するものではないことを伝えている。法然は『選択集』において雑行雑修として持戒の行を廃捨したが、その一方、帰依者である貴顕に説戒を行い、また、弟子達に円頓戒を授けた。諸伝記に見られる貴顕などに対する説戒は、布薩であったといわれる。布薩とは半月に一度行われる戒法のことで、当時は布薩を受けることにより、受者の治病や延命が期待されていた。法然授戒専修念仏者に対してではなく、雑行雑修の者に対する説戒であって、方便結縁として行われた。これは、貴顕の求めに応じて、対処的に行われたもので、専修念仏への教化の機会であったと言えよう。また、円頓戒とは、法然が師叡空より相伝された、天台円頓戒のことである。法然は、青年期の求道の過程において、仏道の原則たる戒定慧三学と向き合い、自己が三学を保てない末世の凡夫であると省察して、凡夫が戒を持つことの困難さを信じ、持戒は単独の浄土往生の業としては、非本願であるから、雑行として廃捨した。そして凡夫称名念仏一行の法を歩むことを確信したのである。しかし、法然は、戒の価値を全く否定しているのではない。先に述べたように往生浄土本願の行である称名念仏助業として、専修念仏者に対して円頓戒を授けている。助業としての戒の位置づけには、専修念仏者の信仰実践とは、実生活を離れた造悪無礙ぞうあくむげに至るものではない、という法然の意思が窺われる。この立場から、法然は生前中に、貴顕や信者門弟円頓戒を授けている。特に法然の滅後、円頓戒の伝統は、法然聖光良忠良暁蓮勝と伝承され現在の浄土宗に継承されている。その後、室町期の聖冏が、『顕浄土伝戒論』を著し、宗脈(五重相伝)と共に戒脈円頓戒)の伝授という、浄土宗独自の僧侶養成方式を定め、さらには、在家のための円頓戒授戒が行われるようになり、現在に至っている。また、この円頓戒と共に注目されるものには、室町期に発見され、明治期まで相伝された「浄土布薩式」がある。その内容は、毎月一五日と晦日みそかに行う布薩法式であり、円頓戒とは異なる、頓教一乗戒を打ち立てるものであり、後に円頓戒と共に伝法の一部にも加えられることともなった。しかし、浄土布薩式が史実に無い伝承や特異な内容を持つことから、江戸中期の大玄は、法然仮託の書として伝法から外し、円頓戒のみとする運動を行ったが実を結ばず、浄土布薩式は明治まで存続したが、大正二年(一九一三)には廃止された。


【参考】大野法道『戒学点描』(浄土宗、一九五九)、田村円澄『法然上人伝の研究』(仏教文化研究所、一九五六)、福井康順「法然伝に関する二・三の問題」(印仏研究一〇、一九五七)、坪井俊映「法然教学における戒の問題」(佛大紀要三九、一九六一)


【参照項目】➡布薩円頓戒三学非器


【執筆者:東海林良昌】