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恢龍

提供: 新纂浄土宗大辞典

かいりゅう/恢龍

元和五年(一六一九)—元禄一一年(一六九八)九月一〇日。快龍ともいう。勝蓮社超誉照水。清浄華院四六世。和泉国鳥取に生まれ、九歳で波有手ぼうで宝円寺(一説に鳥取法福寺)に入り得度したのち、伝通院で修学する。法論をよくし、江戸金剛院の鉄虎と討論し折伏した顚末を弟子真察が『伏虎録』に記している。のちに徳川光圀から水戸に招かれ、常福寺の東庵に住した。元禄六年(一六九三)一〇月、将軍徳川綱吉の上意によって、清浄華院住職となった。これが同院における台命住職の初めとなった。同六年九月に霊元天皇の皇子清宮(無量心院)、同七年六月に東山天皇の皇子若宮(涼照院)、同一一年六月に東山天皇の皇子二宮(高岳院)、それぞれの葬送の導師をつとめた。また同一〇年一一月に増上寺役者から祠堂金として五〇〇両を寄贈された。同一一年九月一〇日に没した。世寿八〇歳。


【資料】『清浄華院誌要』(浄全二〇)、『鎮流祖伝』八(浄全一七)、『瓜連常福寺志』(浄全一九)、大我『伏虎録字考』、『陵墓要覧』(宮内庁書陵部、一九九三)


【執筆者:石川達也】