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念念不捨者

提供: 新纂浄土宗大辞典

ねんねんふしゃしゃ/念念不捨者

片時も忘れることなく念仏を続けること。浄土宗で「開宗の文」として位置づけられる善導の『観経疏散善義中の「一心専念の文」すなわち「一心に専ら弥陀名号を念じて行住坐臥に、時節の久近を問わず。念念に捨てざる者、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に」(聖典二・二九四/浄全二・五八下)の中の一句。この句について法然は、「念念不捨者の釈は念仏を行ずる様なり」(「十二問答」聖典四・四三六)と説き、良忠も『伝通記散善義記一に「若しは久、若しは近、名号を忘れざる、是を念念不捨と名づく。問う、一食いちじきの間なお間断けんだんあり、如何ぞ一期念念に相続せんや。答う、此は行者の用心、意楽を釈するなり」(浄全二・三八九上)と説き、念仏を行ずる者の態度や心構えを示したものと解している。これに対して、西山派の行観は『選択集秘鈔』八において、「仏の方よりして不捨とこそ覚えたれ。機の方より不捨念念とは見えざるなり」(浄全八・三六一上)と、阿弥陀仏摂取不捨のはたらき(他力)を示すものであり、機(衆生)の行(自力)を示すものではないと解している。


【参考】服部英淳「浄土開宗の文」(『浄土教思想論』山喜房仏書林、一九七四)


【参照項目】➡開宗の文一心専念の文


【執筆者:曽田俊弘】