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弥陀義

提供: 新纂浄土宗大辞典

みだぎ/弥陀義

弥陀経義』ともいう。善導撰。散逸。善導の『観経疏定善宝樹観釈に、「此の義、弥陀経義の中に已に広く説き竟りぬ」(聖典二・二五四/浄全二・四一上)とあり、また宝池観釈にも「此の八徳の義は已に弥陀義の中に在りて広く説き竟りぬ」(聖典二・二五八/浄全二・四二下)とあり、良忠は『観経定善義略鈔』において「問う、宝樹宝池の両観に阿弥陀義に譲るとは何事ぞや。答う、この書未だ此の土に来たらず。恐らくは大師の御製作なるか。此の土には闕本なり。恨むらくは之を見ざる事を」(浄全二・五四〇下)と述べていることをうけて、日本には舶載されてこなかった善導の撰述書であると伝えられている。また聖光弟子宗円が師命をうけて天福元年(一二三三)に入宋し、廬山において白蓮社の遺風を伝承するとともに『弥陀義』を発見するも書写を許可されずに、その内容だけを把握して帰国したことを『鎮流祖伝』三(浄全一七・四三九下)は伝えている。なお、現存するテキストに『弥陀経義集』なるものがあるが、これは『観経疏』の抜書きをもとにして、撰述者のコメントを挿入しつつ浄土教の要義について解説したものであり、文中に「穴賢あなかしこ」等の和語が混在しているように、日本において撰述されたものである。


【参考】上杉文秀『善導大師及往生礼讃の研究』(法蔵館、一九三一)


【参照項目】➡弥陀経義集


【執筆者:齊藤隆信】