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小童寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

しょうどうじ/小童寺

兵庫県川西市西畦野。忠孝山菩提院。兵庫教区№一〇六。天延二年(九七四)源光仲の三男美女丸は生来放逸だったため父の逆鱗にふれ、光仲は重臣の藤原仲光に美女丸を殺させようとしたが、仲光はこれを悲しみ自分の子である幸寿丸を身代わりに斬り美女丸を逃がした。後にこれを聞いた美女丸は一八歳で出家比叡山源信弟子となり源賢として帰国。後、幸寿丸の菩提を弔うために小童寺を建立した。一時荒廃したが最上が天文年間(一五三二—一五五五)に復興し、天正元年(一五七三)城誉が中興し現在にいたる。二十五菩薩来迎図(鎌倉期、国重要文化財)、観経曼陀羅宗宝)を所蔵、境内に平井保昌、坂田金時などの墓がある。


【資料】『蓮門精舎旧詞』一一(続浄一八)


【参考】『浄土宗兵庫教区寺院名鑑』(一九七四)


【執筆者:髙橋徹真】