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宿善往生

提供: 新纂浄土宗大辞典

しゅくぜんおうじょう/宿善往生

過去に造った善業によって往生すること。『無量寿経』下には「もし人、善本なければこの経を聞くことを得ず」(聖典一・二五四/浄全一・二一)として、往生における宿善の必要性を説くのに対し、『観経』下下品では一生造悪の者でも十念往生するとして、宿善を必要としない説が展開されることから、往生宿善が必要か否かで異説が生じている。法然は『往生浄土用心』で「念仏往生宿善のなきにもよりそうらわぬやらん。父母を殺し、仏身より血をやしたる程の罪人も、臨終に十念申して往生すと『観経』にも見えてそうろう。しかるに宿善厚き善人は、教え候わねども悪に怖れ仏道に心進む事にてそうらえば、五逆なんどはいかにもいかにも造るまじき事にてそうろうなり」(聖典四・五四七/昭法全五五六)と、念仏往生においては必ずしも宿善を必要としないことを述べている。真宗では宿善の機によらなければ、信心が得難いため、報土往生が叶わないとする。


【参照項目】➡宿業


【執筆者:髙橋寿光】