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宗教現象学

提供: 新纂浄土宗大辞典

しゅうきょうげんしょうがく/宗教現象学

宗教という現象をそれ自体において捉え記述することにより、宗教を理解しようという学問のこと。

[成立]

宗教現象学」(Religionsphänomenologie)という名称が現在の意味ではじめて用いられたのは、シャントピー・ド・ラ・ソーセイの『宗教史教本』(一八八七—八九)においてである。宗教現象学は、宗教学を構成する学問の一つで、二〇世紀になってから注目を集めるようになった。宗教現象学には種々の流れがあり、これらを一つのカテゴリーに収めることは困難である。学者によって方法や目的、領域などが異なっているからである。広義の宗教現象学の代表的研究者としては、シェーラー、オットー、ハイラー、メンシング、ゼーデルブロム、レーウ、ブレーカー、ペッタツォーニ、ワッハ、エリアーデなどをあげることができる。

[内容]

フッサールが現象学を創唱して以来、諸学問は「自然的態度の括弧入れ」「純粋意識への還元」「本質直観」などの新しい方法を取り入れようとした。そうした中で、シェーラーは現象学の方法を宗教現象に適用し、哲学的宗教現象学を展開した。彼は、宗教の「本質的現象学」と「具体的現象学」という区別を行い、前者こそが宗教の本質を真に捉えることができるとした。そして、宗教的作用を「宗教的志向作用」とみなし、その本質を解明しようとした。また、オットーは「聖なるもの」をめぐる体験について分析を行ったが、この体験は、絶対的な他者からの働きかけを受けて、それによって呼び起こされる主体の「畏怖」感情と、主体が絶対的他者に引きつけられる「魅惑」感情とが交錯したものであるとした。シェーラーはオットーの仕事を高く評価したが、オットーの分析には心理学的色彩が濃いといえる。ワッハは、宗教学を「記述的」なものと「規範的」なものとに分け、宗教現象学宗教社会学宗教心理学とともに前者に属するとした。さらに、宗教現象学宗教体験のさまざまな表現形式を体系的に比較研究する学問だとしている。ワッハは「記述的」という言葉を使用しているが、もともと現象学の文脈でいう「記述」とは、本質直観にもとづいて行われる現象学に固有な哲学的性格が合わさったものであり、ワッハのいう「記述」とは異なる。たしかにワッハの学問には哲学的側面が多く見受けられるけれども、宗教現象学も含んだ宗教学の「記述的」立場は、宗教の本質・原理・究極価値などを求めず、ただ現象形態の分析をすすめるのみである。この意味において、シェーラーの哲学的宗教現象学とは趣きがかなり異なっている。宗教現象学宗教史学を区別するレーウによると、宗教現象学は、多種多様な宗教現象から宗教の構造の諸形態を抽出して「宗教現象の普遍的構造」を見いだし、その意義を明らかにするものである。その際、その構造が宗教のいかなる発展段階において現れたかとか、それが生じた文化環境との関係はどのようなものか、などといったことは問題にならない。その一方で、記述的宗教現象学は、方法論が精緻になり従来の諸問題に新しいアプローチを試みているが、内容としては、比較宗教(史)学や一般宗教(史)学と似通ったところもある。

宗教現象学浄土教との関わり]

浄土教における宗教体験を解明する際にも、宗教現象学の方法を用いることができる。たとえば、哲学的宗教現象学との関連では、自力他力信機信法自然法爾の境涯などをめぐる体験にひたりつつ、これを純粋意識において本質直観し、厳密に記述することができる。そして、記述的宗教現象学との関連では、浄土教独自の宗教意識のあり方を浮き彫りにすることができるとともに、他の宗教にみられる意識のあり方との比較を行うこともできる。


【参考】小口偉一・堀一郎監修『宗教学辞典』(東京大学出版会、一九七三)、シェーラー著/小倉貞秀訳『人間における永遠なるもの』(白水社、二〇〇二)、峰島旭雄「自力と他力—現象学的解釈学的アプローチ」「同(続)」(『仏教論叢』一三・一四、一九六九・一九七〇)


【参照項目】➡宗教学宗教哲学宗教人類学


【執筆者:星川啓慈】