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大河内貫静

提供: 新纂浄土宗大辞典

おおこうちかんじょう/大河内貫静

明治二〇年(一八八七)四月一日—昭和四二年(一九六七)一〇月一七日。円蓮社達誉通阿無解啞仏。宗門功労者浄土宗分裂時代を担い、宗統一に奔走尽力した。現在の愛知県海部あま郡に生まれ、一一歳で京都智恵光院門弟となる。京都府仏教会が民間団体として発足した際の初代会長、近畿宗教連盟の要職を兼任する。政治的手腕をかわれ、昭和二五年(一九五〇)本派浄土宗執事長に就任する。人事の刷新や浄土宗統一に向け浄土宗樹立委員会を設立するなど、その高い宗政が評価され「法然のあたま」という異名で称された。同二七年執事長の任期満了を機に、周囲に惜しまれつつも、一切の公職から手を引く。また京都地蔵院(椿寺)の住職として、寺門興隆にも貢献した。


【参考】高橋良和『分裂十五年』(中外日報、一九六三)


【執筆者:伊藤瑛梨】