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北伝仏教

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほくでんぶっきょう/北伝仏教

西北インドからシルクロードに沿って、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝わった仏教のこと。セイロンから東南アジアに伝播した南伝仏教に対する語。南伝仏教の主流が上座部系統であるのに対し、北伝仏教大乗仏教が主流である。また南伝仏教の聖典が、パーリ語で編纂されたのに対し、北伝の仏教経典はサンスクリット語やガンダーラ語で編纂され、さらにそれが中国で漢訳され東アジアに広まった。仏教の地理的な起源は、インド中央部よりやや北方のガンジス河周辺にあり、釈尊はこの地方を中心に生涯を送った。釈尊入滅の後、残された弟子たちはそれぞれ教化活動を行い、徐々に教団の規模を大きくしたようであるが、その実体は明らかではない。仏教教団が拡大し、その教えがシルクロードに沿って、東に伝播するのは紀元後一世紀頃からである。この時期、シルクロードの要所の一つであった北西インドのガンダーラ地方には、クシャーナ王朝が栄えていた。この王朝は仏教に非常に寛容であり、仏教側では部派仏教と、紀元前後から起こったと考えられる大乗仏教とがともに繁栄していたようである。この両方の教えが北西インドや中央アジアに広く伝播し、それらの国々の仏教者が布教に赴き、シルクロード周辺の国々に仏教が広まった。このような布教者たちの中には中国に渡り、ガンダーラ語などで著されていた経典を漢訳した訳経僧も存在した。中国では大乗仏教部派仏教との典籍がほぼ同時に漢訳され、この両方ともを等しく仏教として受容したため、インドとは異なる独自の仏教教理が形成されていく。またその後も、インドで編纂された仏教典籍は中国に伝わり続け、後代まで経典の翻訳作業が続けられた。このような漢訳経典が、朝鮮半島や日本など東アジアに流布し、特に大乗仏教が主流となった仏教が形成された。日本でも六世紀頃には仏教が伝来し、それ以降中国や朝鮮半島の影響を受けつつも、大乗仏教国として独自の仏教教理を発展させた。


【参考】平川彰『インド・中国・日本 仏教通史』(春秋社、一九七七)、菅沼晃博士古稀記念論文集刊行会編『インド哲学仏教学への誘い』(大東出版社、二〇〇五)


【参照項目】➡浄土教南伝仏教


【執筆者:石田一裕】