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光恩寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

こうおんじ/光恩寺

和歌山市大垣内。懐岳山正清院。和歌教区№二五。天正一九年(一五九一)楽蓮社信誉の開山。小倉の領主津田監物算正けんもつかずまさが建立し、自分の法号をとって光恩寺と称した。元和七年(一六二一)徳川頼宣が姉正清夫人(徳川家康の三女、浅野長晟ながあきらの室)を同寺内に改葬し田畑山林を寄進してのち、正清院を号した。明治初期、堂宇のほとんどを焼失したが、折しも廃城令で取り壊されていた和歌山城の本丸御殿御台所を移築して庫裡とした。


【資料】『紀小倉光恩寺開祖信誉上人伝』(浄全一七)、『紀伊続風土記』一、『南紀徳川史』七


【執筆者:中村勝胤】