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三途の川

提供: 新纂浄土宗大辞典

さんずのかわ/三途の川

現世と冥土との境界に流れており、死者が渡るとされる川。葬頭そうず川、三瀬みつせ川、渡り川、奈河ないかなどとも呼ばれる。中国の十王思想の影響を受け、日本で広く受容された。日本の文献において三途の川が初見されるのは、弘仁一一年(八二〇)頃成立した『日本霊異記』であるが、それ以降の諸文献に見られる三途の川の描写は一定ではなく、時代によって変化している。一一世紀に日本で撰述されたと考えられる『地蔵菩薩発心因縁十王経』では、死者は初七日を終えた後、死出の山を越え三途の川に辿り着く。三途の川は、水が急流をなしている所を渡る、入江が深い淵をなしている所を渡る、橋を渡る、の三つの方法があり、生前の罪に応じて渡る方法が異なる。川辺には奪衣婆だつえば懸衣翁けんえおうという二人の鬼がいて、奪衣婆が死者の衣を脱がし、懸衣翁がその衣を衣領樹えりょうじゅに懸け、その枝の垂れ具合によって現世での罪の軽重が計られ、次の王がいる官庁に報告されるという。一九世紀以降には三途の川を船で渡るという観念が広く受け入れられたため、死者を納棺する際には、三途の川の渡し賃といい、頭陀袋六文銭を入れ死者に持たせる習慣が広まった。


【参考】小野寺郷「日本における三途の川の変遷」(『アカデミア人文・社会科学編』六〇、一九九四)


【参照項目】➡賽の河原


【執筆者:名和清隆】