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万法の弥陀

提供: 新纂浄土宗大辞典

まんぼうのみだ/万法の弥陀

天台宗忍空の『勧心往生論』(仁平四年〔一一五四〕撰述、久寿二年〔一一五五〕再治)に説かれるもので、一切すべてが阿弥陀仏であるという考え。『勧心往生論』には「仏徳多しといえども、三徳を出でず。三徳の秘蔵は万徳を含む。…これ三徳の体即ちこれ万法、三諦に非ざることなきが故なり。故に知りぬ、万法即ち是れ弥陀なり」(浄全一五・五三七上~下)とあり、万法(一切)が阿弥陀仏の顕現であるとする。そして、「苦道は即ち法身なり。無始生死、二死、三界四生、五趣、六入、七識、八寒八熱、九居、十界二十五有、三千の依正、みな寂静の門なり。即ちこれ弥陀内証の妙理、外用の色身なり」(浄全一五・五三七)との論を展開し、煩悩と業によってなされる輪廻がそのまま法身であり、無始からの生死の苦しみ等はいずれも寂静の門であり、森羅万象すべての存在(地獄までも)が阿弥陀仏の内証の妙理、外用の色身の顕現であるとされる。阿弥陀仏のこうした捉え方は、浄土宗解釈とは著しく異なるものである。


【参考】福𠩤隆善「忍空の勧心往生論」(佐藤哲英『叡山浄土教の研究』研究編、百華苑、一九七九)、曽根宣雄「万法の弥陀について」(『仏教論叢』五三、二〇〇九)


【参照項目】➡勧心往生論


【執筆者:曽根宣雄】